「駅前広場の天国」 五井昌久 到着バスに発車バス 入乱れて走る構内タクシー 駅前広場のたそがれ時は 眼のまうような賑わしさ その只中にこれは又次元の異なったような雰囲気が漂ってくる それは一体どこからくる ロータリー内のバラの庭園 その中に入ると 周囲の騒音はすっかり消され 天地和合の光につつまれる 人々はその花園に一歩踏み入ると 美の女神に抱かれたように 世間の憂さを忘れ果て しばしは一日の疲れを忘却する バラの花園は 天地の恵みに自ずとその天性をひらき 人々のあこがれを花片にうけて 自らの生命を生々と生かしきる 駅前広場のたそがれ時の 人間世界の生活の渦の中にあって わずかの空間二三十坪 その中に人間は天国の息吹きを感じて心和ませる 人間とバラのいのち一つに融け合って 神の恩寵を満喫する一瞬の尊さよ 「平和讃 五井昌久著」(白光真宏会出版局)収録
五井先生は、1972年まで市川駅北口ロータリーにあった「バラサンクガーデン」という庭園のことを「駅前広場の天国」という詩で詠まれています。サンクガーデンとは、地表面より低い位置に作られた庭園のことです。
現在は撤去されてありませんが、2007年に、駅前にあったバラサンクガーデンの縮小版を再現しようと、市川市の里見公園にバラ園が出来ました。
7年前、市川を訪ねた時、里見公園のバラ園にも立ち寄りました。少しでも、五井先生に関わりのあるところに行きたいという気持ちでした。その時のことを、五井先生ゆかりの地・市川を訪ねて(後編)で書いておりますので、以下に抜粋します。
松戸街道に出てからバスに乗り、里見公園に行きました。国府台城という城が昔あり、戦乱の時代は、武将たちの争いの舞台になりましたが、現在は美しいバラ園があります。噴水を中央に、白、赤、黄色、ピンク等の色とりどりのバラ(百十二種、七百株)が美しく咲き誇り、バラのアーチを潜って、中を見て回れるようになっていました。
(風韻誌2016年9月号)
かつて、市川駅北口ロータリーにも、「バラサンクンガーデン」という庭園がありました。五井先生も「駅前広場の天国」という詩で「その中に入ると周囲の騒音はすっかり消され天地和合の光につつまれる人々はその花園に一歩踏み入ると美の女神に抱かれたように世間の憂さを忘れ果てしばしは一日の疲れを忘却する」と詠まれています。
現在は撤去されてありませんが、その縮小版が、里見公園のバラ園の一角に再現されていました。そこの説明板によると、昭和二十八年頃に、式場病院(聖ヶ丘跡の近くにある。院長の式場隆三郎氏は、山下清の才能を見出したことで知られる有名な精神科医)が中心になり、北口ロータリーに、バラの苗木三百株が植えられました。かつて駅前を行き交う人々の心を癒やしてきた、マダム・バタフライやピース、ヘレン・トローベルといった、当時流行していた品種が植えられていました。
ピースは第二次大戦の終結を記念して、ヘレン・トローベルは、日米親善大使として来日したアメリカのオペラ歌手に因ちなんだ名前です。人は、生命のままに生きる美しい花に、神の御心を感じ、平和や人類の友好の願いを託すものなのですね。
私は少し勘違いをしていて、7年前に風韻誌に掲載した文章では、「その縮小版が、里見公園のバラ園の一角に再現されていました」と書いているのですが、里見公園のバラ園そのものが、市川駅前にあったバラサンクガーデンの縮小版を再現しようとして出来たもののようです。駅前のバラサンクガーデンにあったバラの一部は、里見公園に移植されたとのことです。
市川はバラの街で、他にもバラ園が幾つもあります。市川市民の花として制定されており、街中でも、各家庭の庭で植えられているのをよく見かけました。バラをモチーフにしたスイーツも、お土産物屋さんでいろいろ売っていました。
五井先生が詩の中で「人々はその花園に一歩踏み入ると 美の女神に抱かれたように 世間の憂さを忘れ果て しばしは一日の疲れを忘却する」「その中に人間は天国の息吹きを感じて心和ませる 人間とバラのいのち一つに融け合って 神の恩寵を満喫する一瞬の尊さよ」とお書きになられているように、今でも、多くの人が、バラの花園を訪れて、日々の喧騒を忘れて心身が癒されていることと思います。