五井先生ゆかりの地・市川~葛飾八幡宮~

今回は、五井先生ゆかりの地・市川を訪ねて(後編)より、葛飾八幡宮を参拝した箇所を取り上げます。

 朝食を取ってから、電車で、JR市川駅の一つ隣の本八幡もとやはた駅まで移動し、葛飾八幡宮という神社に参拝しました。八幡は、五井先生のご自宅があった場所です。
 ご著書『人類の未来』の「神秘的なことごと」という文章の中で、五井先生は、このようにお書きになられています。
 「二十年ほど前のことですが、私が市川市新田の松雲閣しょううんかく道場から離れ、八幡に新居を構えた時の話ですが、どこか市川近くに、安くて手頃の家はないかと探し歩いていましたが、ふと八幡の八幡様(葛飾八幡宮)の神社の前にさしかかりますと、神社の奥から、はっきりした八幡様のお声で『貴方の家は、八幡に取ってあるから、他をみる必要はない。八幡だけを探しなさい』と聞えたのです。私はその足ですぐ八幡近辺を探し、現在の家が見つかり、もう二十年も住みつづけておりまして、何一つ不足なく、家内など、広からず狭からず、静かなところでいて、買物にも便利だ、と、もう建ってから四十年近くもなる家ですが、毎日喜こんで住まわせていただいております。」
 五井先生のような方であれば、最初から霊覚で、どこに良い家があるか、すぐにわかりそうなものですが、ごくごく常識的に、人から情報を聞いたりして、仕事が終わった後に、ご自分で足を運ばれて見て回られていたようです。肉体側が人事を尽くす中で、神様が良きようになさって下さるのだということを、身をって示しておられたわけです。
 駅から神社まで徒歩で五分程でした。東京の葛飾区から離れているのに、何故この社名なのか疑問でしたが、江戸時代以前は、千葉を含めた広範囲が葛飾郡だったようです。
 創建は九世紀です。社の隣に、千本公孫樹いちょうと呼ばれる樹齢千二百年にもなる巨樹が聳えていました。高さは二十三メートル。かつて落雷によって幹の上部が折れてしまい、その後、たくさんの枝幹が支え合うように伸びているところから、この名で呼ばれています。乳房の形に似たこぶを削って煎じて飲むと、乳の出がよくなるという言い伝えから、育児守護の信仰があると看板に書かれていました。数多くの幹が寄り集まって、一本の大樹のように伸びている様は、生命力が漲みなぎっており、見ているだけでパワーを頂けるようです。
 社から、「掛かけまくも畏かしこき伊邪那岐大神いざなぎのおおかみ……」と、祝詞のりとが聞こえてくる中、夢中になって、色んな角度から写真を撮っていました。ところで、この祝詞は、「私たちの罪汚れを払い浄めてください」と神々様にお願いする内容だそうです。肉体にまつわる業想念を、すっかりきれいに浄め去って、本心の神様の生命のままに生きるのが、神道であり、世界平和の祈りの道だと思います。自分の肉体身にまつわる自我欲望の想いはそのままにして、商売繁盛やその場だけの勝手なご利益を願うのは、神社にまつられている高級神霊とは、全く波長が合うものではありません。
 八幡神社は日本で一番多い神社だとも聞きますが、八幡神にしても、真の世界平和のため、日本国の天命完うのために働いている人に種々と力をお貸し下さるのでしょう。これまで大勢の平和の祈りの信徒が参拝したと思いますが、八幡様も、大イチョウも、ずっと祈りによる平和運動の発展を見守ってきたのだなぁと、感慨深い気持ちになりました。

風韻誌2016年9月号より
社殿と千本公孫樹

 境内の御由緒板には、御祭神は、誉田別命ほんだわけのみこと(応神天皇)と書かれていました。
 応神天皇は仁徳天皇の父親、神功皇后の子にあたり、古代史においても非常に重要な人物です。
 4世紀後半から5世紀頃の大王おおきみ(天皇)と考えられていますが、後の時代に八幡神と同一視されて信仰されるようになったと言います。
 八幡神社の総本社は、九州の宇佐神宮です。宇佐神宮の社伝によると、6世紀ごろに、八幡神が「私は、譽田天皇ほんだのすめらみこと廣幡八幡麻呂ひらはたのやはたまろである」と名乗って、宇佐の地に降臨したと言います。
 譽田天皇とは応神天皇のことなので、全国の八幡神社ではご祭神が応神天皇となっています。
 元々は、応神天皇とは全く関係がない宇佐地方で信仰されていた神さまだったのが、後の時代に習合しゅうごうした(同一視された)のか、本当に霊身の応神天皇が八幡神として現れたのかわかりませんが、五井先生のご本を読んでも、八幡という神様が本当にいるのは確かな事です。
 単なる現世利益を願う気持ちではなく、真の信仰心がある人が参拝して、心より世界人類と日本の平和を祈れば、八幡神は大いなる光の働きを社を通してなされることでしょう。
 古い時代の八幡様の坐像には、衣冠束帯の格好をしたものもありますし、また頭を丸めた僧侶の姿で描かれた絵もあります。宇佐神宮の社伝では、翁や童子の姿で現れたと言われています。
 実際、高級神霊や、霊界の浄まった世界にいる霊人は、定まった姿形があるわけではないようです。人間の本体というのは、霊光写真のように光り輝いているわけですが、霊界では、その光の波動が、自由自在に、いろんな姿、恰好に変化することができるんだと五井先生は仰っておられました。

 境内の千本公孫樹は見事なものでした。
 白光の高橋英雄先生の「巨樹巡礼(出版社:株式会社にじゅうに)」という詩集を読んで、この千本公孫樹のことを知り、是非見たいと思っていました。
 ご本の中で「ほめよ たたえよ 千年のいのち たたえよ ほめよ 千年の存在」「私はあなたの内に神をみた」と千年以上生きた巨樹のことを讃えておられましたが、まさに、千本公孫樹は、神の生命をそのまま現わしており、神そのものを見る想いがします。
 祈りとは、いのちをのりだすこと、いのちをそのまま現わすことだと五井先生は仰っていましたが、巨樹は祈りの姿そのものです。巨樹はただその場に立っているだけで見る者を圧倒させ、わぁ、すごいという気持ちにさせます。畏敬の念を人間の心に起こさせます。
 人間も、小我の想いを滅し、本体の神様の姿をそのまま現わして生きていれば、巨樹のように、一言も発しなくても、体全体から発せられる生命の光の響きだけで、周囲の人たちを魅了し、みなの心を癒し、高め上げる働きをすることができると思います。
 今から15年以上前に、高橋先生の講話会を聞きに行った時、こういうことを仰っておられたのが、心に残っています。
 「五井先生のみ教えを伝えるには、どうしても言葉を使わないといけないわけですが、私の中では、五井先生の素晴らしさを伝えるのに、言葉で伝えるというのは、上中下でいえば、下です。言葉ではなくて、体そのもので、体から出ているすごい波動でもって、言葉でない言葉でもって、五井先生の素晴らしさを伝えたい。私は日本各地の巨樹を巡礼しているが、1000年・2000年の巨樹を前にすると言葉が出ない。そのようになりたい」
 言葉ではなく、体全体から、五井先生の慈愛の響き、救世の大光明波動を響かせて、声に出る以前の光の響き、波動でもって、五井先生の素晴らしさを伝えていくということだと受け取っています。
 五井先生ご自身が、そのようなお方でした。五井先生のお姿をお写真や映像で拝見するだけで、霊妙極まりない神霊波動を感じさせ、深く感激します。
 一言も発しなくても、その人がその場にいるだけで心が安心し、光のエネルギーを頂けて、生きる勇気や力が湧いてくる―それが五井先生をはじめとした聖者の在り方だと思います。
 私も自我の想いを平和の祈りを通して神様に浄めて頂きながら、体全体から、五井先生の光の波動を響かせて、先生の素晴らしさを少しでも伝えていけるよう精進してまいりたいと思います。